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2020.11.4

記憶のビー玉

ケミカルハーツ

 

50を過ぎた辺りから

つくづく思うのだけれど、

記憶は、

膝を抱えた私の周りに

散りばめられたビー玉の様だ。と。

生まれて暫くは、周りの空間も

空き空きだから、

何でもすぐに手に届くけど、

半世紀も超えると、

ビー玉も密になって、

一段、二段…と奥深くなり

う~んと手を伸ばさないと

届かないものも出てくる。

因みに記憶のビー玉は、

時が流れるなら、随時増えていきます。

大きさは様々で、

出来事に加減するのかしら…?

衝撃的な出来事は、でっかくて、

ドンと鎮座ましていますから、

何度も手に取れるけれど、

昨日何食べた?かは、小っちゃくて、

遠くに転がってしまいます。

だから、アレ?

何だったっけ?となるんだよね。

と思ってます。

でも時に、何でこんなこと

ふいに思い出したんだろう?

ということがあって、例えば、

小学4年生の時にクラス毎に

サッカーボールが配られました。

何故かその時、全員起立で、

「サッカーボールって痛いか?」

と、先生が一人ひとりの頭に

ネットに入っているボールを

ぶつけ始めました。

クラス全員に。

痛かった!

そして、何も言わずに先生は

教室を出て行かれました。

残された私たち全員

「何で?」「何?」と思った。と思う。

今も、『何で?』と思う。

だけど、そのことを

フッと思い出すのは、

釈然としない気持ちのビー玉が

ずっと近くにあるからかしら?

釈然としないまま、や

嘘をついたり、ズルしたら、

ビー玉に傷がついて、その分

転がりにくいのかもしれない。

だから、何十年も前のものも

割と近くにあって、

ふとした拍子に手が触れて、

唐突に思い出したり…。

ああ、そうだったなら、

言葉を子どもに届ける仕事の私は、

もっと丁寧に、子供たちの胸に

言葉を収めないといけないなぁ。

?を残したり、スッキリ来こないまま

終わらせてはいけないなぁ。

と、今更ながら思います。

ペンは剣よりも強し、のような

大上段のことでは無く、

いつも、言葉一つの届け方で、

脳は瞬時に化学変化を起こし、

記憶のビー玉を生み出すのだから。

その場面を日に何度も目にして、

美しいビー玉を

伴にコロコロできるように…。

 

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