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2021.3.13

春雷

lapis文庫

夜半に春雷が鳴り響いていました。

あれは、4時ぐらいだったのかしら…?

もうすぐ、春分とは言え、

まだ辺りは暗く、

とろとろとまどろみながら、

『暁鐘』という言葉が浮かびました。

”我、暁の鐘を鳴らす。”

暁の鐘は、夜明けを告げる鐘のことですが、

同時に、新しい時代の始まりを告げ知らせるもの

としての意味もあり、

明治大学のステンドグラスの≪暁の鐘≫は

ご存じの方も見えるのではないでしょうか?

因んだ漢詩を一つ、ご紹介します。

 

睡起偶成  王陽明

四十餘年睡夢中
而今醒眼始朦朧
不知日已過亭午
起向高樓撞曉鐘

起向高楼撞暁鐘
尚多昏睡正懵懵
縦令日暮醒猶得
不信人閒耳盡聾

 

四十余年睡夢の中
いま醒眼始めて朦朧(もうろう)
知らず日すでに亭午を過ぐるを
起って高楼に向んで暁鐘を撞く

起って高楼に向んで暁鐘を撞く
尚お多くは昏睡正にぼうぼう
たとえ日暮るるも醒むるをなお得ん
信ぜず人間耳ことごとく聾すと

 

この睡起偶成の詩は、王陽明が五十才に

なったときに作ったものと言われています。

四十数年を生きてやっと目が覚めて

世の中のことが分かってきた。

目覚めたらもう昼過ぎとは

随分寝ていたものだ。

こうなったら自分がみんなの

目を覚ますように

鐘を鳴らさなくては…、

この鐘とは警鐘のことで、

なかなか良くならない

世の中に対する慨嘆でもあり、

そしてこの慨嘆は二番目の詩に

つながって行きます。

高い塔に進んで警鐘をならすのだ。

世の中の人たちはまだそんなことに

気づかないままぐうぐうと

寝ているかのようだ。

しかし自分が鐘を撞き続ければ

誰かがきっと気づいてくれるはずだ。

世の中には気づいてくれる人がいる

と言うことを信じよう。

 

この詩は「気づいた者の責任」

という事にも通じそうです。

そして自分が気づいて、「良いなあ」

と思ったことを誰かに伝えるということの

大切さを訴えているような気がするのです。

こういう漢詩などは徹底的に体に叩き込み

暗誦してみませんか?

決して知識をひけらかすのではなくて、

自分の感性に合致する良いお話を誰か伝えて、

相手にも何かが伝わったときに初めて

このお話が自分のものになる、

自分の血になり肉になるのではないかと

思うからです。

そうやって、幾つになっても学びは深められ、

磨きをかけることができるのだと思います。

父や恩師の先生方は皆、

朗々と吟じられていました。

意味が分からない幼心にも、

それはカッコ良く、憧れでした。

今既に、その時は巡ってきました。

 

 

 

 

 

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