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2021.4.27

春爛漫

日々のまにまに

あれよあれよ、と言う間に、

桜が散り、春休みも終わって、

春爛漫になりました。

鯉のぼりも泳いでいます。

まだ、早いお帰りの子供たちが

陽の高い内に公園で遊んで…。

やっと、外で遊ぶ子供たちを見かけるのが

当たり前の景色になってきました。

そう思う反面、この春は

やはりとても、とても静かで、

人を見かけなくても、季節は廻り、

花はそこに只、咲くんだなぁ…。

と感じ入ってしまう静かさを感じます。

それは、コロナ変異種の勢いが

留まらぬせいでしょうか…。

春になっても、新学年になっても、

みんな、何処か息をひそめて、

深海魚のように、そ~っと、じ~っと

しておかねばならない。

この抑圧された空気がまだまだ続く、

と予測されるのも、

気が晴れない一つではあるのでしょう。

又、それとは裏腹に、

この抑圧された空気に慣れてしまい。

(飽きてしまい?)

自分だけは、家だけは大丈夫。

これくらいなら平気。みんなやってるし、

と、何の根拠も無く、

みんなが渡れば怖くない。

現象に陥って、人込みの中に出かけ、

更に人込みを増加させる行動の人達もいます。

新年度恒例の遠足、(バス旅行)があり、

そこで感染者と知らず、バスの中で一緒に

長時間過ごした学校もあります。

乗客全員濃厚接触者です。

こういう事実は、知れ渡らないはずがないのに、

今週も、来週も、各学校での遠足は中止になりません。

G.W.を挟み、高校では各運動部の大会が目白押しです。

大会に向けての練習も過密練習で遅くまでやっています。

でも、感染者が出た学校の出場辞退でしか、

今のところ対処されていません。

 

私たち一人ひとりが

受け止めなければならないのは、

コロナが流行する前にはもう戻らない。ということ。

長いものに巻かれろ、ではなく、

一人ひとりが考え、

行動しなければならないということ。

一人ひとりが、

責任の担える、行動を取る。ということ。

当たり前のようで、

とても難しいことですが…。

 

挨拶          

           石垣りん

原爆の写真によせて

あ、
この焼けただれた顔は
一九四五年八月六日
その時広島にいた人
二五万の焼けただれのひとつ

すでに此の世にないもの

とはいえ
友よ

向き合った互いの顔を
も一度見直そう
戦火の後もとどめぬ
すこやかな今日の顔
すがすがしい朝の顔を

その顔の中に明日の表情をさがすとき
私はりつぜんとするのだ

地球が原爆を数百個所持して
生と死のきわどい淵を歩くとき
なぜそんなにも安らかに
あなたは美しいのか

しずかに耳を澄ませ
何かが近づいてきはしないか
見きわめなければならないものは目の前に
えり分けなければならないものは
手の中にある
午前八時一五分は
毎朝やってくる

一九四五年八月六日の朝
一瞬にして死んだ二五万人の人すべて
いま在る
あなたの如く、私の如く
やすらかに 美しく 油断していた。

 

 

 

 

 

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